Category Archives: 感動する話

ゴルゴ松本の漢字を使った魂の授業
 
●「感謝」と「謝罪」
反対の言葉に使われる「謝」
「謝」とは、「言葉」で「射る」
悪い事したら「ごめんなさい」
何かしてもらったら「ありがとう」
相手に矢を射るようにはっきりと届けなさいという意味がある
「ありがとう」「ごめんなさい」は心で思っているだけではダメ
言葉として伝えなさい
 
●「寿命」と「一生懸命」
人が死んだら悲しいのに「寿」という字を使うのか?
命名→運命→宿命→使命→天命→寿命
人の一生は「命」で始まって「命」で終わる
「寿」には、長生きという意味がある
この世には、事故や病気で
天寿を全うできない短い「命」もある
「短命」です
自分の「一生」に「命」を「懸ける」「一生懸命」
親から貰った大切な命を懸けてはいけない
「懸ける」とは、「命」に「心」を「縣ける」
「心」を外した「縣ける」には、「つなぐ」という意味がある
自分の「命」に「心」をつなげる、そう命懸けより心がけ
「一生懸命」とは、「命を懸ける」ではなく、
その命に対して自分の心を注いでいくということなんです
 
●「会う」は「伝える」こと
「会う」は「人」に「云う」と書きます
「会う」は「伝える」こと
大切なものを伝えるときは、直接 会わなければいけない
●「好き」→女の人は、子供が好きなんです
赤ちゃんを産みます。育てます。
好きなものを考えると、みんな笑顔になり幸せになれる
好きは奇跡を起こす心、「好奇心」
好きが続かないと、心が幸せでないと、奇跡は起きない
もし好きなことができたら とことん追求した方が良い
 
●「咲く」花が咲いている姿は、人間の笑顔
花が咲くことを昔、花が笑うと言っていた
笑う門には福来る
笑顔でいると自然と福が来るということわざ
辛いと思っても、笑顔だったら、その笑顔に幸せは寄って来る
 
●「更に生きる」と書いて「更生」
「更生」を一つにすると「甦る」
自分を蘇らせるために、今 います
 
●苦難、困難、が無い人生は
「無難」 だけど、難が有る人生は「有難い」
「苦難」「困難」「災難」など「難」は良いイメージが少ない漢字
出来れば「難」は無くなって欲しいと思うもの
苦難、困難、が無い人生は「無難」…つまり退屈な人生
したがって「難」は有った方が良い
難が有る人生は「有難い」のです
 
●弱音を「吐」かなければ夢が「叶」う
「弱音を吐く」と云うのは非常にネガティブなこと
口にプラスとマイナスで「吐く」
そのマイナスを取ると「叶う」と云う漢字になる
弱音を吐かなければ夢が叶う
マイナス思考を無くしてプラス思考になれば願いは叶うのです
 
●すべての始まりは「女」
女に台をつけると「始まる」
だから、女を粗末にしたらいけない

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岡山県吉備中央町には、珍しい手造りの公園がある
癒しの散歩道 裕園
ひとつの山を切り開き造られた公園は、
石畳の散歩道が山頂まで続き、
季節ごとに行われるイベントスペース、
昼食が食べられる食事処もあり、地元の方の憩い場として人気
 
それは小林裕さんが、地元の人に
恩返しがしたいと一から手造りした公園
 
1999年、小さな山を一つ買い、公園造りを始めた
まずは木を切って道を造ることから
雨の日も雪の日も朝5時から夜遅くまで作業を進めた
切り開いた道には、2万個以上の石を全て手作業で敷き詰めた
さらに敷地内の建物も小林さんの手造り
全く知識のなかった小林さんは自力で調べたり、
近所の人に聞いたりしながら、防災設備管理会社に勤務し、
5年で完成させることを目標にして作業を徹した
完成間近の公園は、台風に崩され、何度も一からやり直し
壊れては直してを繰り返し、感性には15年の歳月がかかった
今では多くの人を完成させる癒しの公園となっている

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・ビールスタンド重富:広島県広島市中区銀山町10-12
店内は10名しか入れない小さな立ち飲みビールバー
店主の重富寛(しげとみゆたか)さんが、こだわって注ぐ生ビール
1杯500円で、1人2杯まで
「壱度注ぎ」もちっとした口当たりの泡の昭和の泡
「参度注ぎ」もちっとした口当たりの泡の昭和の泡と柔らかい口当たりの平成の泡のブ
レンド
「弐度注ぎ」注ぐのに5分もかかる
10年かけて考案した「重富注ぎ」クリームのような泡
注ぎ方で変化する味わいを楽しむため、店で出すビールは1種類だけ
営業時間が17時~19時までのたった2時間だけ
食べ物は一切なく、持ち込みも禁止
 
2時間しか営業しないのは、
「この店を0次会として位置付けてほしい」
富重さんの本業は、老舗の酒屋
近所の飲食店に支えられてきた
ビールバーを長時間営業することは、周辺の飲食店の客を奪うことになる
考えた末に思い付いたのが、17時~19時までの営業
「私は残りの人生、この街に恩返ししていきたい」
 
酒屋の創業者である重富さんの祖父:博さんは、
初めて広島に生ビールを持ち込み広めたことで知られる人物
当時、日本は瓶ビールが主流で生ビールなど
ほとんどなかった時代に本場ドイツ人技師から
生ビールの管理法や注ぎ方の技術を習得
酒屋の一角で客に振る舞っていた
その後、乳の台でバーは閉めたモノの重富さんは、
再び美味しい生ビールで広島を元気にしたいとビールバーを開いた

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右足を切断してまでアイドルとしてステージに立った木村唯さんは、2015年10月14日に、亡くなった 享年18だった
 
 
花やしきにあるフラワーステージで
毎週日曜の正午から歌とダンスを披露する花やしき少女歌劇団
そのメンバーとして9歳から活動していた木村さんは、
2012年、15歳のときに「私 足が痛いんだけど」と母に訴えた
小児の発症率が高い横紋筋肉腫と医師から診断
木村さんはステージ復帰を目指して抗がん剤治療に専念
 
抗がん剤治療を続けながら残り少ない余命を送るか?
がんの転移を防ぐために右足を切断する手術を受けるか?
と医師は、木村さんに選択を迫った
木村さんは「私…手術を受ける」と決断した
手術を受ける前に健常者としてステージに上がった
 
 
2013年7月、右足を切断
半年後、肺や気管支にがんの転移を発見
それでも片足の彼女は、ステージに上がった
 
「ママ、私を可愛そうだなんて思わないで…。可哀想なんて思われたくない。私 幸せだから」と亡くなる前に母に話したという
 
2015年10月14日に、亡くなった 享年18だった

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2012年、ノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥
体の様々な細胞に変化できるiPS細胞を生み出した
山中は日本の多くの研究者と違う点がある
それは、一つのテーマを研究し続けるのではなく、
テーマを次々と変えた異例の研究スタイル

 

1936年、34歳でアメリカから帰国、新しい環境で研究に取り掛かった
しかし待っていたのは、実験用のマウスの世話
その数、200匹、これが山中には苦痛だった
アメリカではマウスの世話をする専門のスタッフがいた

 

僕は研究者なのか、ネズミの世話係なのか、いったい何をやってるんだ
肝心の研究に専念できないストレスに襲われていた
山中の周りには同じ研究をする同僚も少なかった

 

実は、山中は当初、血圧の研究をしていた
その後も動脈硬化、がんなど次々と研究テーマを変えた
同じことを長くやる事が研究者にとっての勲章という考えが日本では普通
日本でどんな風に評価されるんだろう、と山中の不安は大きかった

 

そんなある日、とある講演会に訪れた
話していたのはノーベル生理学・医学賞を受賞した利根川進
山中にとっては雲の上の人物
講演会が終わった後の質問タイムで、意を決し 悩みをぶつけた
「日本では研究テーマの一貫性が評価の対象になっていますが、それについて先生どうお考えか?」
恐る恐る質問する山中
「別に持続性なんかなくたっていいと思います。面白いことを科学者はやるべきであって。僕は割と飽きるたちですから、同じテーマを一生やるなんて考えられない」
利根川の言葉で、山中は救われた

 

一貫性にとらわれず面白いことをやる
このわずか4年後、山中は人のiPS細胞を生み出した
利根川進の現在の研究テーマは、ノーベル賞を受賞した免疫学ではなく脳の研究

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