Category Archives: 感動する話

丸山は、ガンと闘いながらアイドルを続けてきたが、21年の生涯を閉じた

 

1993年、福島県郡山市に生まれる

両親と妹と暮らす丸山は、脳腫瘍を発症したのは小学2年生のとき

3カ月の入院生活、励ましてくれたのはモーニング娘。

先生からは「夏鈴ちゃんは病院のアイドルだね」と言われた

 

2009年、地元の尚志高校に入学

歌が大好きだった丸山は、アイドルになりたいという夢を抱く

2年生になると生徒会長を務める

その任期中、2011年3月11日、東日本大震災と原発事故が発生

みんなで乗り越えようと全校生徒を励ました

 

2012年3月3日、卒業式で答辞を読んだ

「成功の反対は、失敗ではなく挑戦しないことです。卒業生代表、丸山夏鈴」

卒業後、3度目、4度目の脳腫瘍の手術

 

 

この入院中に、丸山はアイドルオーディションに応募

オーディション:ミスiD2013の一般投票の期間中に

芸能事務所:Happy Strikeからスカウトされ所属した

 

7月からアイドルとして活動を始める

デビュー曲は「Eternal Summer」

歌詞には丸山がブログやツイッターで発信してきた思いが込められていた しかし脳腫瘍が肺に転移、手術はできないと宣告された

 

2013年2月25日、5度目の脳腫瘍摘出手術

6月、6度目の脳腫瘍摘出手術

 

2014年12月、デビュー曲のレコーディング

 

2015年1月2日、初詣の絵馬に“この先もずっと健康で、ファンの方に笑顔を届けられますように!!”と書いた

 

2月3日、CDのジャケット撮影、夜に緊急入院

肺には2ℓの水が溜まっていた

 

2月5日、脳腫瘍の一部が肺に転移し肺癌の治療中である事を公表

 

2月7日、高田馬場のライブハウスでライブ

酸素チューブを取り付けてステージへ

肺の水を抜くため週に2回、通院

 

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2月28日、「Eternal Summer」でCDデビュー、

郡山のタワーレコードでミニライブを開催

酸素チューブを外して、ステージに

「こんばんは、酸素チューブが宇宙一似合うアイドルです(本人が撮影したコメント)」

 

3月22日、東京でCDジャケットの衣装を身につけてライブ

 

4月20日「のどの痛みは前よりも落ち着きました。喉につっかえてる感じが取れれば完璧です。歌も歌いたいし(本人が撮影したコメント)」

 

4月25日「先生から許可を貰って、病院の外に来ました。桜がキレイです。外は気持ちいいね(本人が撮影したコメント)」

 

5月18日「何としてでも活動再開できるように頑張りたいなって思います。ファンの方も含めて応援してくださっているので、ここでへこたれてはいけないんだって思いました(本人が撮影したコメント)」

 

5月19日「今日は昔からお世話になっている美容師さんが来て、ちょちょちょと髪の毛切ってくれました。明日にでも記念撮影しようと思います」

 

5月21日「薬のせいで眠いです。じゃあ、さよなら、バイバイ(本人が撮影したコメント)」

 

2015年5月22日、丸山夏鈴 享年21 永眠 (1986)

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2015年3月、宝塚駅に街のシンボルとして設置された犬の銅像

 

1987年12月25日、木村佳友さんは結婚して2年目、27歳の時、

路面の凍結によりバイクが転倒、対向車に衝突した

首を骨折し神経がすべて切断、胸から下の感覚がマヒ状態に

車椅子での生活、在宅勤務でプログラマーの仕事をしていた

ある日、妻が「○○さんが柴犬飼ったんやって。うちも飼いたいな」

「無理やろ」自分のことだけで精一杯だった木村さんは、

犬を飼うことに反対した

しかし仕事や家事、自分の介護で気が休まらない妻のことを思い、

ラブラドールリバーを購入、シンシアと名付けた

おてんばなシンシアは 木村さんの言うことを全く聞かない

手足の不自由な木村さんを格下と見なしていた

 

ある日、障がい者を補助する介助犬の記事を発見

訓練所にシンシアのトレーニングを依頼した

4か月後、しかし、帰ってきたシンシアは、

トレーニングを受ける前よりも木村さんを無視するように

全く言うことを聞かないシンシア

訓練を終え1か月近く、諦めかけていたある日、

シンシアは履こうとした木村さんの靴を奪い、遊び始めた

木村さんは必死にシンシアに叫び続ける

ふとシンシアは、木村さんのもとに靴を置いた

これをきっかけにシンシアは指示に反応するように

 

いつしかシンシアは、木村さんと親子のような関係になった

木村さんを喜ばせようとどんどん新しいことを学んでいった

木村さんの生活に必要な100項目の補助する介助犬に

 

駅では「お客様と同伴して乗車できるのは盲導犬と警察犬だけなんです。介助犬というのは分かるんですが、次回からは遠慮していただけませんか」

当時、盲導犬と介助犬の違いは全く違った

盲導犬と同じように障碍者を介助する犬なのに

公共の場ではペット扱いされ、どこに行っても入店拒否

世間で認知されていた盲導犬は、法律で同伴することが認められてたが、

介助犬に関する法律など当時何もなかった

 

木村さんは介助犬を知ってもらうため奔走

講演会などを行い、介助犬の現状を訴えた

 

当時 国会議員で宝塚市長を務める中川智子が木村さんの活動を認め、

木村さんとシンシアが普段どんな暮らしをしているのか、

デモンストレーションを国会で行った

介助犬としてシンシアは、素晴らしいパフォーマンスを披露し、

2002年5月22日、障がい者の人が補助犬を同伴して施設を利用できるなどの法律:身体障害者補助犬法が成立した

 

その後も木村さんを支え続けたシンシアは、2004年に他界

2015年3月、宝塚駅に街のシンボルとしてシンシアの銅像が設置された (449)

1972年、長野県軽井沢

銀行や猟銃店を襲撃するなど数々の凶悪事件を起こしていた連合赤軍

警察に追われたメンバー5名が長野の山中へ逃亡

追い詰められたまたま逃げ込んだ場所があさま山荘だった 断崖絶壁に建つあさま山荘は外部から侵入しづらく

さらに食料も豊富、犯人が立てこもるには最適な場所だった

人質は山荘の管理人の妻

犯人はまわりと取り囲む警官たちに発砲

その結果、死者3名、負傷者27名という甚大な被害をもたらした

警察は殺傷能力のない催涙弾や放水で対抗

現場に、犯人は殺さずに捕まえろ、という指令が出ていたため

殺してしまうと犯人たちを英雄扱いにする人が現れ、

反政府運動の後押しする事になる

 

犯人と警察の膠着状態を破ったのは前代未聞の鉄球作戦だった

鉄球を捜査していたのは、地元に住む民間人の白田兄弟

警察でもない彼らが銃弾が飛び交う最前線へと送られ、

命がけで鉄球を振った

 

●あさま山荘事件で鉄球作戦を命がけで実行した民間人:白田兄弟

 

白田兄弟の父は重機運搬会社:白田組を経営

正義感の強い父の教えは「悪い奴には絶対に屈するな」

21歳の時に兄:弘行は妻:澄江と結婚

同じ日同じ場所で弘行の妹も式を挙げた

五郎は弘行の義理の弟になった

2人は最高の相棒として様々な現場で共に汗を流した

 

1972年2月19日、あさま山荘事件が勃発

テレビでは連日 山荘の様子が生中継されていた

犯人への憤りを感じながらもテレビで見守ることしかできない

事件発生から5日目、電話が鳴った

「私 長野県警の者なのですが…」鉄球作戦の依頼だった

実は それまで長野県警は何件もの業者に鉄球作戦を依頼していた

その全ての会社が依頼を拒否

何故なら連合赤軍から報復される恐れがあったから

もし警察に協力すれば自分だけでなく家族にも危険が及ぶかもしれない

だが正義感が強い弘行は、依頼を受けた

 

当時のクレーン車は運転席と

クレーン操縦席が分かれていたため一人では作業が出来ない

五郎は二つ返事で兄の願いを受け入れた

 

当時、警察は人質となった管理人の妻が2階に監禁されていると推測

犯人を3階へひきつけている間に人質と分断させる計画を立てた

そこで山荘の2階と3階を繋ぐ階段を鉄球で破壊しようと考えた

しかし階段階段の両脇には山荘を支える大きな柱があり、

間違って柱を壊してしまえば山荘自体が崩れてしまう恐れがあった

許された誤差はたったの20㎝

さらにクレーン車を配置する場所は、銃で狙われやすい位置だった

 

白田兄弟は2日間でクレーン車を防弾仕様に改造

運転席に鉄板を溶接し、のぞき窓には防弾ガラスをはめ込んだ

 

決戦前夜、一升瓶を片手に白田兄弟のもとを訪れたのは、

当時の長野県警のトップ:野中庸 警視監だった

作戦の責任者だった野中は手土産を持って自ら訪ねてきた

民間人を最前線へ送り込む事への強い責任を感じていた

「お二人を1日警察官に任命する」

 

1972年2月28日、犯人に民間人だとバレないように警官と同じ服装で参加

午前10時、突入を開始

 

午前10時22分、ついに白田兄弟に出動命令が下された

クレーン車を駐車させたその時、弘行の目の前の防弾ガラスに銃弾が命中

白田兄弟はためらわず作戦を着実に進めていく

ついに1発目の1.7トンの鉄球は見事 階段部分に命中

そんな弘行の目の前では、第二機動隊の内田隊長が撃たれ、殉職

奮い立った白田兄弟は怒りの鉄球を何度も打ちつけ、山荘の屋根を破壊

徐々に犯人たちを無力化していった

午後6時20分、犯人5名を逮捕、人質も無事に救助された

 

白田兄弟の活躍は、その後30年間も世間に公表されなかった

連合赤軍からの報復を避けるための警察の配慮

2人も誰にも口外しなかった (5092)

中国、11歳の末期がん患者が、自らの意志で腎臓と肝臓を提供したという

 

中国 深圳に住むリャン・ヤオイー君

9歳の時、脳のがんが発覚

 

2年間、闘病生活を送ったが病状は悪化、最期を待つしかなかった

リャン君はお母さんに言った

「世界には立派な人がたくさんいるよね。僕も立派な人間になりたいよ。だから臓器を提供したい」

脳のがんに侵されていたリャン君は、亡くなる前に臓器提供を決断した

 

リャン君の夢は 立派な医者になることだった

それが叶わないと知った時、想い出したのが学校で習った臓器提供

「もう医者にはなれないけど人を助ける事は出来る」

リャン君の母:李さんは最後の願いを受け入れた

 

2014年6月6日、リャン君はこの世を去った

その直後、ドクターたちは、腎臓と肝臓を摘出

 

手術室からその遺体が運び出された時、

11歳の少年の決断にドクターや病院のスタッフが

一堂に頭を下げ、3度敬礼した

ドクターたちはリャン君の遺体に自ら服を着せた

リャン君の遺体は、医者を目指す若者の為に医療学校へ送られた (900)

川越市立野田中学校3年生の川口瑠美子さん

夢は航空自衛隊のパイロットになること

中1の時に航空自衛隊のブルーインパルスを見たのがキッカケ

その実現の一歩として選んだ高校が、日本航空石川高校

 

2010年1月16日、推薦入試を受けようと母娘は埼玉から石川県に向かった

しかし大雪の影響で電車が運休、新潟県長岡市で立ち往生した

 

午前0時、試験まで9時間しかない

この時間、この大雪、タクシーは走っていない

「ヒッチハイクしかない。無理かもしれないけど他に方法がないじゃない?」

大雪の中、母娘は高速道路のインターチェンジまで歩いた

午前1時、最初に出会った車が停まってくれた

「石川県の輪島まで行きたんですけど」

「石川県までは無理だけど、上越市までだったら行けますよ」

「ごめんね、途中までで。でも直江津駅からなら電車出てるかもしれないから」

 

午前2時半、新潟県直江津駅に到着したが、電車は動いていない

少しでも前へと歩きながら車を探した

 

午前5時、ようやく見つけたガソリンスタンドでトラックが停まっていた

「石川県まで行きたいんですけど乗せて頂けませんか?」

「いいよ。乗んな!金沢までだったら通ってもロスにならない」

「何でこんな雪道でヒッチハイクを?」

「明日、石川県の輪島市で受験なんです」

「それは遅れるわけにいかないな」

しかし猛吹雪のせいでトラックは思うように進まなかった

「このペースだと金沢着が7時になるな。試験会場はどこだっけ?」

「輪島です」

金沢から輪島までバスで2時間以上

このままだと試験開始の9時には間に合わない

 

するとトラックの運転手が「ちょっと待ってて」と言い残し

外でに出て、電話で配送先に遅れる連絡を入れた

「本当にすみません。時間が4時間ほど遅れそうです」

席に戻った運転手は「しょうがない。輪島までいっちゃる」

 

そして試験開始10分前に到着

一睡もせずに移動、本来ならテストなど受けられる状態ではない

その日は作文を書く試験だった

テーマは、私が感動したこと

川口さんは試験会場までに起こったことをそのまま作文に書いた

そして見事、高校に合格した

 

母は運転手に「お礼がしたいので連絡先を」と聞いたが、

「そんなのいいから、じゃ!」学校に到着後、すぐに去ってしまった

分かっているのは、ヨコヤマという名前のみ

高校の教頭が、トラックのナンバーと運輸会社名を見ており、

検索して連絡をした

電話がつながった第一声は「あの子 どうなりました?」

「合格しました」と伝えたという

 

川口さんは その後 航空大学校に進学した

 

大学を卒業した川口さんは、憧れの航空会社に就職が決まった (2086)

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